2021-03-16 第204回国会 参議院 文教科学委員会 第3号
といいますのは、今、海の中を電車が走っているということを上野先生おっしゃっていただいたんですが、何で海の中を走っているかといいますと、当時、明治の政府といいますか、議会ができる前の状態で、合議制で国の方向を決めていたときに、非常に発言力のあった西郷隆盛は、これはもう軍備を強化するべきだということを強調して、一方、伊藤博文や大隈重信は、これからの近代化には鉄道だということで意見が物すごい対立して、最後
といいますのは、今、海の中を電車が走っているということを上野先生おっしゃっていただいたんですが、何で海の中を走っているかといいますと、当時、明治の政府といいますか、議会ができる前の状態で、合議制で国の方向を決めていたときに、非常に発言力のあった西郷隆盛は、これはもう軍備を強化するべきだということを強調して、一方、伊藤博文や大隈重信は、これからの近代化には鉄道だということで意見が物すごい対立して、最後
それはなぜかというと、明治当初、軍備の強化を訴える西郷隆盛さんと、それから、これからの近代化には鉄道が必要だという大隈重信さんや伊藤博文さん、こういう人たちの、言うなら対立、意見の対立の中で、最終的には鉄道の必要性も認めたんですけれども、しかし、当時、先生も御承知のように、あの品川一帯というのは薩摩藩の土地や軍部の土地がほとんどだったので、鉄道を敷くのはいいけれども、薩摩の土地は通さない、軍部の土地
○麻生国務大臣 渋沢栄一という方は、いわゆる明治の元勲とか西郷隆盛とか、そういったような派手なイメージは全くない方なんですけれども、少なくとも、この人が、やはり明治時代の、あの時代に資本主義とか民間主導とかいうようなことを確立していった中で最も貢献した財界人を挙げろといったら、ちゅうちょなく渋沢栄一が出てくるんだと、私の、歴史の中で入っている、頭の中ではそういうことになるんですが。
しかし、幼い頃、西郷隆盛の崇拝者であった祖父の膝に抱かれながら、「自分の為だけに生きる人生はつまらん。世の為、人の為に命を投げ出せる人間になれ」と諭された言葉がいつも心の片隅から消えることなく、政治家人生を貫いてまいりました。 文部科学大臣、国土交通大臣と二度の大臣を拝命致しました。
私は、歴史が好きなものですから、いろいろ幕末なども非常に大好きなんですが、坂本竜馬とか西郷隆盛とかいろいろな人がいるんですけれども、小栗上野介という人を大変尊敬しております。
確かに、考えてみると、海外に発信するというのは言うはやすし行うはかたしでありまして、そもそも一つの、例えば我が鹿児島には尚古集成館という、明治維新に至った経緯、その偉人たち、島津斉彬公あるいは西郷隆盛公、大久保利通公等々多数の人材を輩出したわけでありますが、そうした功績を世に発信する施設がございます。
龍郷町というところが奄美大島にございまして、これは西郷隆盛さんが一時、島津の殿様に、ちょっと関係が悪くなって逃げて、「西郷どん」でも出たところなんですが、ここでは、もともと、地域おこし隊がさまざまな龍郷町の魅力を発信するために頑張っておりました。しかし、もう御案内のとおり、三年間の任期しかございません。
その西郷隆盛公の西郷南洲翁遺訓というものがございます。その中に、政の大体は文を興し武を振るい農を励ますの三つにあるという言葉がございます。文というのは教育、教育振興が大事だということ。武を振るいというのは、やはり安全保障、当時は軍隊ということで、その整備が肝要であるということ。そして三つ目に農を励ます、農業が非常に国の根幹として大切であるということ。
麻生大臣は、あの明治維新の偉人、大久保利通の御子孫とお聞きしますが、最後の最後まで麻生大臣をかばい続ける安倍総理に、大久保利通の盟友、西郷隆盛、西郷どんの最期の言葉を拝借して、御自身の意思をしっかり伝えるべきではないでしょうか。晋どん、もうここでよかと。
続いて、私の地元鹿児島でも、川内先生もそうですね、史跡である城山、これは、西郷隆盛が最後西南の役で命を落としたところになりますが、城山、あるいは、大河ドラマ「西郷どん」でも話題になっております国指定の重要文化財建造物である旧集成館機械工場など、文化財が数多く残されております。
西郷どんの、西郷隆盛の、西郷どんの留守政府なんですが、地租改正や学制、そして太陽暦の導入、さらには使節団の海外派遣など、明治政府は内政、外政共にしっかりと前に進めてきました。 激動の明治維新を始め、戦後からの粘り強い復興、そして現代の国難に対して、憲法という日本のあるべき姿を国民が共有することで、国民全体の本来持っている良心と知恵、努力によりましてイノベーションが起きると考えております。
そうした大改革をなすことができたのは、もちろん、坂本龍馬、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允といった政治リーダーの存在も重要ですが、社会のあらゆる分野で改革を支え担った市井の人々の数限りない努力の積み重ねがあったからだと私たちは考えています。 幕末の思想家であり、同時代の精神的指導者、教育者でもあった吉田松陰は、こうした地方の改革の積み重ねの大切さをこう表現しました。
明治維新といえば、これはもう当然、我が西郷隆盛がおるわけでありますが、そして来年のNHKの大河ドラマは西郷さん、鹿児島弁ではせごさんと言うんですけれども、それに決まりました。それで大変沸き上がっておるわけでありまして、活気付いております。
そして明後年、来年のその次の年に大河ドラマの主人公となる西郷隆盛の地元、そしてまた、頻繁に噴火しておりますけれども、桜島がある鹿児島市に抜ける、九州自動車道を縦に連なるような九州横断ルートなど、日本文化遺産など、観光アイテムもさまざまございます。
ただし、西南戦争ですとかあるいは佐賀の乱ですとか、西郷隆盛さんやら江藤新平さんは、その後賊軍扱いということで合祀されていない。もちろん会津藩の方たちやら奥羽越列藩同盟なんというのは対象外なわけでありますけれども、こういう方たちもやはり内戦においてこの国のことを思いながら殉じていった人たちだ、そういう観点から、靖国神社に対しての合祀申し入れというものがこの間ございました。
西郷隆盛による西南戦争が始まるまだ二年前であります。近代国家として世界の仲間入りをして間もなくの年であります。それから、幾多の内乱、さらには日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、日中戦争、そして太平洋戦争に至るまで、この七十年の間に日本は幾多の戦争を経験をしてきました。
そして、私の地元鹿児島県沖永良部島では、当時流刑されていた西郷隆盛公の指導に基づいて、明治三年に島民の相互扶助組織沖永良部社倉が設立されております。 これらの組織に共通する思想は、独り勝ちするのではなく、みんなで分かち合うことであり、まさしく協同組合の理念である、一人はみんなのために、みんなは一人のためにという考え方であります。
私の先入観が悪かったんでしょうけれども、僕は、日本の明治維新に活躍した西郷隆盛だとか大久保利通だとかあるいは坂本龍馬だとか、ああいうごつい人といいますかすごい人を先入観で持っておったんです、フン・セン首相というのはそういう人かなと思って。御自宅へ訪問してみましたら、今ちょっと太られましたけれども、ちょっと痩せ型で、おとなしい大学の先生というような感じで、あれっというのを記憶しております。
我が郷里の誇りであります西郷隆盛公がいろいろな機会に語られたことが記録され、西郷隆盛の死後に書物として世に出された、西郷南洲翁遺訓として今日に伝えられております。 その一節に、政の大体は、文を興し、武を振るい、農を励ますの三つにあり、この三つのものを後にして他を先にすることは更になしという教えであります。
私も鹿児島が地元ではございますが、地元の西郷隆盛さんは子孫に美田は残すなと言いましたけれども、やはり借金は残してはいけないと私は当然思いますし、その道筋を与えて、日本はこの先よくなる、さらに活性化していくんだというのは、やはり若者の活力に期待したいと思うところが私はあります。 その中で、今回も視察させていただきまして、この財政健全化、先ほど麻生大臣も言われていました、二〇二〇年度もまだ厳しいと。